📿 御朱印情報

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即成院の写真

即成院

京都府 京都市 京都市東山区泉涌寺山内町28

由緒

ふむ、即成院の由緒を語れというのじゃな。吾輩が古き世より見守ってきた、この寺の物語を。 即成院はな、京の都の東、泉涌寺の奥深くに慎ましく佇む塔頭寺院であるぞ。その歴史は、吾輩がまだ幼き頃の記憶にも鮮やかな、平安の末期にまで遡るのじゃ。 始まりは永承年間、藤原頼通という御仁が宇治の平等院に観音院として開いたのが最初じゃな。当時は阿弥陀如来を本尊としていたと聞く。その後、後白河法皇の勅願により、この泉涌寺の地に移され、「即成院」と名を改めたのじゃ。吾輩もその頃から、この地を見守っておるのであるぞ。 この即成院が、特に名高いのは、源平の世を駆け抜けた武将、那須与一宗高の菩提寺であることじゃな。屋島の戦いで扇の的を射抜いたあの弓の名手じゃ。戦乱の世に疲れたか、彼は出家し、この即成院で静かに修行を積んだと伝えられておる。彼の墓所は今もこの寺にあり、毎年、彼の命日には法要が営まれておるのであるぞ。 また、即成院には「二十五菩薩来迎図」という絵があるのじゃ。阿弥陀如来と二十五の菩薩が、亡き者を迎えに来る様を描いたものじゃが、その美しさと尊さは、人々の心を深く慰め、極楽への往生を願う信仰を集めてきたのじゃ。吾輩も、幾度となくその絵から放たれる光を見てきたものであるぞ。 江戸の世には、皇室や公家からの信仰も篤く、多くの寄進を受けて伽藍も整備された。しかし、幕末の動乱や明治の廃仏毀釈の嵐には、この寺も例外なく巻き込まれ、一度は衰退の危機に瀕したのじゃ。じゃが、歴代の住職や檀信徒たちの懸命な努力によって、今日までその法灯は絶えることなく守り継がれてきたのである。吾輩も、彼らのひたむきな姿を、陰ながら見守ってきたものじゃ。 現在の即成院は、本堂、庫裏、書院などが整い、静かで厳かな雰囲気を保っておる。那須与一の墓所や二十五菩薩来迎図は、今も多くの人々を惹きつけておるのじゃ。秋には紅葉が美しく、吾輩もその景色を眺めるのが楽しみであるぞ。即成院は、平安の昔から現代に至るまで、日本の歴史と文化、そして信仰のあり方を伝える、まことに貴重な存在であり続けておるのじゃ。

ご利益

必勝祈願 弓道上達 極楽往生 諸願成就 家内安全