📿 御朱印情報

直書き 不明
書き置き 不明
Google Maps で開く

廣福寺

熊本県 廣福寺(こうふくじ)は、玉名市 廣福寺(こうふくじ)は、熊本県玉名市石貫にある曹洞宗の寺院である。大本山・永平寺の直末寺。小岱山系観音岳の東麓に位置する。肥後西国観音霊場第24番札所。

由緒

ふむ、吾輩が語ってやるのじゃ。 廣福寺、と申したな。熊本県玉名市石貫に佇む、曹洞宗の寺院であるぞ。大本山・永平寺の直末寺にして、小岱山系観音岳の東麓に鎮座する。肥後西国観音霊場第24番札所として、篤い信仰を集めておるのじゃ。 その由緒は、南北朝時代の貞和3年(1347年)に遡る。開山は、永平寺第18世、通幻寂霊禅師。瑩山紹瑾禅師の法孫にあたる高僧で、曹洞宗の教えを全国に広めたお方であるぞ。廣福寺は、その通幻禅師が九州の地に開いた、最初の寺院の一つじゃな。故に、その後の九州における曹洞宗の発展に、多大な影響を与えたのであるぞ。 創建当初の廣福寺は、現在の地よりやや北に位置する「観音寺」という真言宗の寺院の跡地に建立されたのじゃ。観音寺は、平安時代に創建されたと伝わる古刹であったが、戦乱によって荒れ果てておった。通幻禅師は、この地に新たな寺院を築くことで、地域の信仰を復興させ、曹洞宗の教えを布教しようとされたのである。 室町時代に入ると、肥後国の守護大名である菊池氏の庇護を受け、寺領の寄進や堂宇の再建が行われたのじゃ。特に、菊池武光は廣福寺に深く帰依し、その発展に尽力したという。この時代には、多くの学僧が廣福寺に集い、禅の修行に励んだのであるぞ。 戦国時代には、度重なる戦乱によって廣福寺も一時衰退したが、江戸時代に入ると、細川氏の庇護のもとで再び復興を遂げたのじゃ。この時期には、現在の本堂や庫裏などが再建され、伽藍が整備されたのである。細川氏の家臣の中にも、廣福寺に帰依する者が多く、寺院の経済的な基盤を支えたのじゃな。 明治時代以降も、廣福寺は地域の信仰の中心として、多くの人々に親しまれてきた。現在も、坐禅会や写経会などの行事を通じて、禅の教えを広める活動を行っておる。肥後西国観音霊場第24番札所として、多くの巡礼者が訪れ、観音菩薩に祈りを捧げておるのであるぞ。