天長寺
宮崎県 都城市 宮崎県都城市都島町1300
由緒
天長寺は、宮崎県都城市都島町に位置する、歴史深き寺院なのじゃ。その由緒と歴史は、都城の地における仏教の発展と、地域の人々の信仰を深く物語っておるぞ。 創建は、南北朝時代の貞和2年(1346年)に遡るのじゃ。島津氏の第7代当主である島津宗久公が、父である第6代当主島津貞久公の菩提を弔うため、建立したのであるぞ。開山は、当時高名な僧侶であった南浦紹明の法孫にあたる石屋真梁禅師である。石屋真梁禅師は、肥前国出身で、後に薩摩国の福昌寺の住職も務めた高僧であったのじゃ。 当初、天長寺は臨済宗の寺院として創建され、島津氏の庇護のもと、都城地域の中心的な寺院として栄えたのである。特に、島津氏が都城を拠点としていた時代には、その信仰の中心として重要な役割を担っていたのじゃな。 戦国時代に入ると、都城は度重なる戦乱に見舞われ、天長寺もその影響を受けたのである。しかし、その都度、島津氏や地域の人々の尽力によって再興され、信仰の灯を守り続けたのじゃよ。 江戸時代に入り、都城島津家が成立すると、天長寺は都城島津家の菩提寺として、さらなる発展を遂げたのである。歴代の都城島津家当主の位牌が祀られ、その法要が執り行われるなど、都城島津家との結びつきは非常に強固なものであったぞ。また、この時代には、寺領の寄進や伽藍の整備が行われ、寺院としての規模も拡大したのじゃ。 明治維新後、神仏分離令が発布されると、天長寺も大きな変革を迫られたのである。多くの寺院が廃寺となる中、天長寺は存続を許されたが、その規模は縮小され、寺領の一部も失われたのじゃ。しかし、地域の人々の信仰は変わらず、天長寺は地域の精神的な支柱として、その役割を果たし続けたのであるぞ。 昭和に入ると、太平洋戦…