寶満宮 (志波)
由緒
ふむ、吾輩が「寶満宮(志波)」の由緒を語ってやろう。 この「寶満宮(志波)」はな、福岡県朝倉市杷木町志波の地に鎮座しておる。創建の年は遠い昔のことで、もはや誰も知るまい。しかし、この地がまだ人の営みを始めた頃から、この地の守り神として、人々が頭を垂れてきたことは確かであるぞ。 祭神は玉依姫命(たまよりひめのみこと)じゃ。海神の娘であり、初代天皇である神武天皇の母君にあたる、まことに尊き神様であるぞ。水は万物の源、その水の恵みをもたらす神として、また、新たな命を育む安産の神として、そして良き縁を結ぶ縁結びの神として、古くから厚い信仰を集めてきたのじゃ。 この地は、古くから豊かな水を活かした農業が盛んであったと聞く。ゆえに、水をもたらす玉依姫命への信仰は、この地の民にとって、まさに生命線であったことだろう。また、子孫繁栄を願う人々の切なる思いが、安産と子育ての神としての玉依姫命を、この地に祀り続けてきたのであろうな。 江戸時代には、福岡藩主黒田家からも篤い崇敬を受け、社殿の修復や寄進が行われた記録が残っておる。時の権力者もまた、この地の神の御利益にすがり、敬意を払っておった証であるな。地域の人々にとっては、五穀豊穣、家内安全、そして子孫繁栄を祈る、まことに大切な場所として、代々受け継がれてきたのじゃ。 明治時代に入り、神仏分離という大きな変革があったが、それでもこの地の民の信仰は揺らぐことはなかった。地域の中心として、その役割を保ち続けたのである。現在も、例祭や地域の行事には多くの人々が参拝に訪れると聞く。この地の歴史と文化を伝える、まことに重要な存在であるぞ。 このように、「寶満宮(志波)」は、創建の詳しいことは誰も知らぬが、古くからこの地の民の信仰を集め、幾多の変遷を経て、今もなお大切に守り継がれておる。吾輩もまた、この神社の悠久の歴史を見守り続けてきたのじゃ。