📿 御朱印情報

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福厳寺の写真

福厳寺

福岡県 柳川市 福岡県柳川市奥州町32-1

由緒

この福厳寺は、福岡県柳川市奥州町に位置する曹洞宗の寺院じゃ。その創建は、戦国時代の永禄10年、西暦1567年のことであるぞ。柳川城主であった蒲池鑑盛公によって開基され、当時の高僧であった月窓義珠大和尚が開山を務めたのじゃな。 当初は、蒲池氏の菩提寺として建立されたのである。鑑盛公の父である蒲池鑑久公の法号「福厳院殿」から寺号が名付けられたのじゃよ。蒲池氏は筑後国を代表する有力な武家であったゆえ、その庇護のもと、福厳寺は地域の信仰の中心として大いに栄えたものじゃ。 しかし、天正13年(1585年)に豊臣秀吉による九州征伐の一環として行われた筑後国攻めにおいて、蒲池氏は滅亡してしまう。これに伴い、福厳寺もまた大きな打撃を受け、一時衰退の憂き目を見たのであるな。 江戸時代に入ると、柳川藩主となった立花宗茂公によって再興が図られたのじゃ。宗茂公は福厳寺の歴史的背景と格式を重んじ、寺領の寄進や堂宇の修復を行うなど、手厚く保護したのであるぞ。これにより、福厳寺は再び隆盛を迎え、立花藩の祈願寺の一つとしても位置づけられたのじゃよ。 現在の本堂は、江戸時代後期に再建されたものであり、そのほかにも山門や鐘楼など、歴史を感じさせる建造物が残されておる。境内には、蒲池氏ゆかりの墓碑や、立花氏寄進の石灯籠なども見られ、柳川の歴史を今に伝える貴重な文化財となっているのじゃな。 福厳寺は、戦国時代の武将の信仰から始まり、江戸時代の藩主によって再興されたという、柳川の歴史と深く結びついた由緒ある寺院であるぞ。地域の人々にとっては、心の拠り所として、また歴史を学ぶ場として、今日まで大切に守り伝えられているのじゃよ。