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Miyazaki 宮崎市 miyazakiken miyazaki shi sadowara machi ueda shima 8079-3

History

吾輩が語るは、此処、高月院の由緒であるぞ。宮崎市佐土原町上田島に鎮座する真言宗の古刹、その歴史は室町時代にまで遡るのじゃ。 この寺院は、佐土原の地を治めし伊東氏の重臣、佐土原氏によって創建されたと伝えられる。佐土原氏は、伊東氏の腹心として、この地の開墾と統治に尽力した一族じゃな。高月院は、彼ら佐土原氏の菩提寺として、一族の隆盛と安寧を祈るべく建立されたのであるぞ。 創建当初の伽藍は、今より遥かに質素なものであったろう。されど、佐土原氏の篤い庇護のもと、徐々にその姿を整えていったのじゃ。本尊は薬師如来、人々は病気平癒や健康長寿を願い、此処に集いしものじゃ。 戦国の世においては、佐土原の地は伊東氏と島津氏の争乱の渦中に巻き込まれた。高月院もまた、その影響を免れなかったが、佐土原氏、そして地域の人々の深き信仰に支えられ、寺院としての灯火は絶えることなく守られたのじゃ。 江戸時代に入り、佐土原藩が成立すると、高月院は藩主たる島津氏からも厚き庇護を受けた。藩主の祈願所として、また地域の信仰の中心として、その地位を確固たるものとしたのであるぞ。この時代に、伽藍の修復や拡張が行われ、現在の高月院の基礎が築かれたと吾輩は見るのじゃ。 明治維新後の廃仏毀釈の嵐は、多くの寺院を飲み込んだが、高月院は地域の人々の揺るぎない信仰心に支えられ、その歴史と伝統を守り抜いた。今日に至るまで、地域の人々にとって心の拠り所であり続け、様々な行事や法要が厳かに執り行われているのであるぞ。 高月院は、佐土原の歴史と共に歩みし寺院じゃ。その由緒と歴史は、この地の文化と信仰の深さを雄弁に物語っているのじゃな。