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sanu jinja ( tomishiro )

Miyazaki 狭野神社(さのじんじゃ)は都城市 sanu jinja ( sanojinja ) ha miyazakiken tomishiro shi niaru jinja . sanu jinja ha tomishiro daiichi no kyuusha to ii tsutae rare , ouko no shachi ha jounai miyako shima to tsutae ruga , tenju gannen (1375 ) shimazu kuge kouso niyori ni dai no so kitagou yoshihisa honjou kenchiku no kiwa , sankei ni fuben naruga yueni , shiro no touhoku go machi yo no chi . . .

History

ふむ、吾輩が狭野神社の由緒を語ってやろう。 狭野神社は、都城に鎮座する古社であるぞ。都城第一の旧社と伝えられ、その歴史は遥か彼方、往古の社地は城内都島であったというではないか。 天授元年(1375年)のことじゃったな。島津久家の高祖、北郷義久が本城を築く際、参詣に不便であると申して、城の東北五町余り、今の地へと遷されたのじゃ。これは、城下の人々がより近くで神恩に浴せるようにとの配慮であろうな。 祭神は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)であるぞ。天孫降臨神話の主役であり、日本の皇室の祖神であらせられる。故に、狭野神社がいかに古くからこの地の信仰の中心であり、皇室とも深い繋がりを持つ重要な神社として崇敬されてきたか、理解できるであろう。 江戸の世には、都城島津家より篤い崇敬を受け、社殿の造営や修復が度々行われたのじゃ。島津家の歴代当主は、祭礼に参列し、この地の安寧と繁栄を祈願したと伝えられている。人々と神社の絆が如何に深かったか、よく分かる話であるな。 明治の時代に入り、神仏分離令により仏教色は排除され、近代社格制度のもとで郷社に列せられたのじゃ。そして昭和11年(1936年)には県社に昇格し、この地の信仰の中心としての地位を不動のものとしたのであるぞ。 今もなお、狭野神社は都城市の総鎮守として、地元の人々から厚い信仰を集めているのじゃ。毎年行われる例大祭には多くの人々が訪れ、この地の伝統と文化を今に伝えている。吾輩も、この地の永き歴史を見守り続けているのであるぞ。