myoushouji
History
ふむ、妙正寺について語ってやろうかのう。久留米市寺町に佇むこの浄土真宗本願寺派の寺院は、久留米の地における浄土真宗の歴史そのものと深く結びついておるのじゃ。 妙正寺の始まりは、永禄12年(1569年)と伝えられておる。開基は、本願寺第8世蓮如上人の孫にあたる実従(じつじゅう)上人じゃ。実従上人は当時、筑後地方に浄土真宗の教えを広めるために尽力しておった。その布教の道すがら、この妙正寺を開かれたのであるな。当初は「妙正坊」と呼ばれ、現在の久留米市北野町陣屋のあたりに建てられたものじゃ。 その後、妙正寺は久留米藩主有馬氏の庇護を受け、寺院としての基盤を確かなものにしていったのじゃ。特に、有馬氏が久留米に入封した慶長6年(1601年)以降、城下町の整備に合わせて、現在の寺町へと移ったのである。この移転は、久留米藩が城下町の防衛と、宗教を統制する目的で、寺院を一箇所に集める政策の一環として行われたものじゃよ。 江戸時代を通して、妙正寺は久留米藩内における浄土真宗の重要な拠点の一つとして大いに栄えたのである。多くの門徒を抱え、地域の信仰の中心として機能したのじゃ。また、寺子屋を開き、教育の普及にも貢献しておったぞ。 明治維新以降も、妙正寺は地域社会に根差した活動を続け、現代に至っておる。幾度となく火災や災害に見舞われながらも、そのたびに再建され、法灯を守り続けてきたのであるな。現在の本堂や山門などは、江戸時代後期から明治期にかけて再建されたものが多く、長きにわたる歴史を感じさせる佇まいを見せておるぞ。 妙正寺は、久留米の歴史の中で、浄土真宗の教えを伝え、地域の人々の心の拠り所となってきた、まことに重要な寺院じゃ。その創建から現在に至るまで、多くの人々の信仰と努力によって支えられてきたのである。