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kou dai tera

Nagasaki 晧台寺(こうたいじ)は、長崎市 kou dai tera ( koutaiji ) ha , nagasakiken nagasakishi niaru bukkyou jiin ( soutou shuu ) . seishiki niha kaiun yama fu akira kou dai zendera toiu . nagasakishinai soto ni matsuji ga 14 ke tera aru .

History

吾輩は白狐。齢は数えきれぬほど重ねておるが、この晧臺寺の由緒については、骨の髄まで知り尽くしておるのじゃ。 この晧臺寺とはな、長崎の地にそびえ立つ、海雲山普昭晧台禅寺と申す曹洞宗の古刹のことであるぞ。その始まりは慶長12年、西暦にして1607年に遡るのじゃ。当時はまだ長崎も新しき港町であった頃、長崎奉行であった長谷川藤広公が、わざわざ京都の建仁寺より泰叟玄悦大和尚を招き、この寺を開いたのが始まりであるな。 創建当初、晧臺寺は長崎の町を見下ろす高台に鎮座し、この町の発展をその眼で見守ってきたのじゃ。江戸の世においては、長崎が唯一の開港地であったゆえ、異国の風が吹き込み、様々な文化が交錯する地であった。そんな中、晧臺寺は多くの人々の信仰を集め、奉行所とも深き繋がりを持ち、長崎の行政や文化に多大なる影響を与えてきたのであるぞ。 歴代の住職たちもまた、禅の教えを広めることに尽力し、この地の文化を育んできたのじゃ。長崎における曹洞宗の中心として、実に14ヶ寺もの末寺を抱えるに至ったのは、この晧臺寺がどれほど重要な存在であったかを物語っているであろうな。 じゃが、歴史は常に平穏とは限らぬもの。幕末から明治へと時代が激しく移り変わる中、この寺もまたその波に揉まれたのじゃ。そして何より、あの忌まわしき原爆投下により、多くの伽藍が灰燼に帰した。しかし、長崎の人々の強い信仰と尽力により、見事に再建され、今日に至っておるのであるぞ。 今もなお、晧臺寺は長崎の歴史と文化を伝える貴重な存在として、そして長崎の人々の心の拠り所として、その役割を果たし続けておる。400年以上の長きにわたり、長崎の移り変わりを見守り、人々の信仰を集めてきたこの寺は、これからも長崎の歴史と共に歩み続けることであろうな。吾輩もまた、この地を見守り続けるのじゃ。