myouhou in
History
ふむ、妙法院の由緒について、吾輩が語ってやろうではないか。 京の都の東山に鎮座する天台宗の門跡寺院、妙法院。その歴史は、平安の世にまで遡るのじゃ。最澄なる者が開いた比叡山延暦寺の別院として、あるいは、延暦寺の僧が隠棲する場として建立されたと伝えられておる。当初は「妙法院」という名ではなかったが、時代とともにその呼称も性格も変えていったのであるぞ。 平安の後期には、皇族や摂関家の子弟が入室する寺院となり、特に後白河法皇の御代には、法皇の御所の一部として、また重要な政務が行われる場として大いに栄えたのじゃ。法皇が崩御された後も、歴代の天皇や上皇の信仰を集め、皇室との関係を深めていったのである。この頃より「門跡寺院」としての地位を確立し、皇族が住職を務めるようになったのじゃな。 鎌倉から室町の世にかけては、度重なる戦乱や火災に見舞われたが、その都度、皇室や幕府の支援を受けて再建されてきたのである。特に応仁の乱では大きな被害を受けたが、その後、豊臣秀吉によって再興され、現在の伽藍の基礎が築かれたのじゃ。秀吉は妙法院を京における拠点の一つとし、方広寺大仏殿の造営に際しても、妙法院がその管理を担ったのであるぞ。 江戸の世に入ると、徳川幕府からも厚い保護を受け、寺領の寄進や伽藍の修復が行われたのじゃ。この時代には、妙法院門跡が天台座主を兼任することも多く、天台宗における重要な地位を占めたのである。また、学問の中心としても栄え、多くの文化財や典籍が伝えられたのじゃな。 明治維新後、神仏分離令や廃仏毀釈の影響を受け、一時は衰退の危機に瀕したが、その後、見事に復興を果たし、現在に至っておるのである。妙法院は、皇室との深い繋がりを持つ門跡寺院として、また数多の国宝や重要文化財を所蔵する寺院として、日本の歴史と文化を今に伝える、まことに貴重な存在であるぞ。