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honganji kako shima betsuin

Kagoshima 鹿児島市 kako shima ken kako shima shi higashisengokuchou 21-38

History

ふむ、吾輩が語ってやろうかの。 「本願寺鹿児島別院」と申すは、鹿児島市東千石町に鎮座する、浄土真宗本願寺派の寺院であるぞ。その由緒と歴史は、浄土真宗の教えが、かの薩摩の地に根を張るまでの、長き道のりと深く結びついておるのじゃ。 始まりは、江戸時代の初期、慶長十二年(1607年)にまで遡る。当時の薩摩藩主・島津家は、浄土真宗に対して、それはもう厳しい禁教政策を敷いておった。じゃが、そのような逆風の中にあっても、本願寺十二代宗主・准如上人の命を受けた僧侶たちが、ひそやかに布教活動を行っておったのじゃ。この鹿児島別院の起源は、まさにこの頃、薩摩藩内で浄土真宗を信仰する人々が寄り集まり、人目を忍んで念仏を称える「隠し念仏」の拠点として始まったとされておるのであるぞ。 当初は、表向きには認められぬ存在であったが、信徒たちの熱き信仰心によって、その教えは静かに、しかし着実に広がりを見せたのじゃ。明治維新の後、ようやく宗教の自由が認められるようになると、本願寺派は鹿児島における教えの勢いを拡大せんと、明治十年(1877年)に正式に「本願寺鹿児島別院」として設立された。これは、長き禁教の時代を乗り越え、ついに公の場で浄土真宗の教えを広めることができるようになった、まことに画期的な出来事であったのじゃな。 それ以来、鹿児島別院は、鹿児島における浄土真宗本願寺派の要として、地域の人々の信仰の中心となってきた。法要や仏事はもちろんのこと、地域社会との交流を深め、文化活動や社会貢献活動にも積極的に取り組んでおる。特に、第二次世界大戦中の鹿児島大空襲では、本堂を含む多くの建物が灰燼に帰したが、戦後の復興期には信徒たちの並々ならぬ尽力により再建され、今日に至っておるのであるぞ。 この本願寺鹿児島別院は、薩摩の厳しい禁教政策を乗り越え、地域に深く根差した信仰の場として、その歴史を今もなお刻み続けておるのじゃ。