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kou hisashi yama   fukuju teraの写真

kou hisashi yama fukuju tera

Fukuoka 北九州市 fukuokaken kitakyuushuushi kokurakita ku hisashi yamachou 6-7

History

福岡県北九州市小倉北区寿山町に位置する曹洞宗の寺院、広壽山 福聚寺について語ってやろう。その由緒と歴史は、小倉の地における禅宗の発展と深く結びついておるのじゃよ。 創建は慶長12年(1607年)と伝えられておるぞ。当時の小倉藩主であった細川忠興公が、父である細川幽斎公の菩提を弔うために建立したのであるな。開山は、忠興公が深く帰依していた高僧、泰翁慶存(たいおうけいぞん)和尚であるぞ。泰翁慶存和尚は、越前永平寺の末寺である大雄寺(現在の熊本県玉名市)の住職を務めた後、忠興公の招きに応じて小倉に入り、この福聚寺を開山したのじゃ。 福聚寺は、細川家が小倉藩主であった時代には、藩の祈願寺として手厚い保護を受け、栄えたのじゃな。細川家が寛永9年(1632年)に熊本へ移封された後も、小倉藩主となった小笠原家によって引き続き庇護され、地域の信仰の中心として栄え続けたのであるぞ。 江戸時代を通じて、福聚寺は禅の教えを広める拠点としての役割を果たしたのじゃ。多くの学僧がここで修行を積み、地域の文化や教育にも貢献したのであるぞ。また、寺院の境内には、細川家や小笠原家ゆかりの墓所が点在しており、当時の歴史を今に伝える貴重な史跡となっておるのじゃよ。 明治維新以降も、福聚寺は地域の信仰を集め続け、現代に至るまでその法灯を守り続けておるぞ。度重なる災害や戦火を乗り越え、今日までその姿を留めておることは、地域の人々の信仰心の篤さと、寺院の持つ歴史的価値の証と言えるのじゃ。 福聚寺は、小倉の歴史と文化を語る上で欠かせぬ存在であるぞ。静寂な境内に足を踏み入れると、創建以来の長い歴史と、禅の精神が息づいておることを感じることができるのじゃよ。