fumon in
History
ほう、普門院についてじゃな。吾輩が語ってやろう。 普門院は、福岡の地に鎮座まします高野山真言宗の寺院じゃ。広大山という山号を冠し、十一面観音様を本尊としておる。 その由緒は、遠く平安の御代、延暦20年(801年)にまで遡るのであるぞ。征夷大将軍として名を馳せた坂上田村麻呂が、蝦夷征伐の戦勝を祈願し、また戦場で散った者たちの魂を弔うために建立したと伝えられておる。田村麻呂がこの地を訪れた際、この寺院の建立を発願したのじゃな。 創建当初は、今の場所より少し離れた山奥にあり、修験道の修行場としても大いに栄えたものじゃ。平安から鎌倉にかけては、朝倉の地における信仰の中心の一つとして、多くの人々がその門を叩き、広大な寺領を誇っていたというではないか。 しかし、戦国の世に入ると、幾度となく戦乱に巻き込まれることとなる。特に、豊臣秀吉による九州征伐の折には、兵火によって伽藍が灰燼に帰し、大きな被害を受けたのじゃ。このために、一時は衰退の道を辿ったのである。 だが、江戸時代に入ると、福岡藩主黒田家の庇護を得て、再興の機運が高まった。元禄年間(1688年~1704年)には、現在の地に移転し、堂宇の再建や整備が進められ、再び地域の信仰の中心としての役割を果たすようになったのである。この再興の過程で、高野山真言宗の寺院としての性格をより強く持つようになったと考えられておるぞ。 明治の廃仏毀釈の嵐の中では、一時的に厳しい状況に置かれたものの、地域の人々の篤い信仰に支えられ、その法灯は今日まで守り継がれてきた。現在も、十一面観音様を本尊とし、この地の信仰と文化を伝える重要な寺院として、多くの参拝者を受け入れているのである。まことに、数々の苦難を乗り越えてきた、由緒正しき寺院であると言えよう。