toushouguu
History
ふむ、吾輩が語ってやろう。長崎の地に鎮座する東照宮の由緒をな。 長崎市上西山町に佇む東照宮は、かの徳川家康公を祭神とする神社であるぞ。創建は寛永十二年(1635年)と伝えられておるのじゃ。当時はまだ、吾輩も若輩の身であったが、その頃からこの地を見守っておるのじゃな。 思えば、この東照宮は、江戸幕府が長崎奉行を置き、鎖国の世を固めていく中で、幕府の威光を世に示すために造られたものじゃな。長崎は海外との唯一の窓口であり、異国の風が吹き荒れる地であった。そのような場所で、幕府は神道をもって日本の心を広め、秩序を保とうとしたのであろう。家康公の御神威をもって、長崎の地における徳川将軍家の支配を確固たるものにせんとした、その思惑が透けて見えるようであるぞ。 創建当初は、長崎奉行所が直接管理し、幕府の手厚い庇護のもとにあったのじゃ。毎年、例祭ともなれば、奉行をはじめとする役人たちがこぞって参列し、幕府の弥栄と長崎の安寧を祈願した記録が残っておる。時には、長崎に滞在する日本人だけでなく、遠くオランダ商館の者までが参拝に訪れたという話も聞くのじゃな。異国の者にも、家康公の御神威は届いていたのかもしれぬな。 しかし、世は移り変わるもの。明治維新の激動の中、神仏分離令や廃仏毀釈の影響を受け、この宮も一時、その維持が困難になった時期があった。だが、長崎の地に生きる人々の篤い信仰心によって、幾多の苦難を乗り越え、今日まで守り伝えられてきたのであるぞ。現在も、地域の人々にとってかけがえのない信仰の場であり、徳川家康公の遺徳を偲び、地域の平和と発展を祈る大切な神社として親しまれておるのじゃ。 東照宮の建物自体は、度重なる火災や修復を経て、姿を変えてきた。しかし、その根底に流れる創建当初の精神は、今もなお、この地に脈々と受け継がれておるのであるぞ。長崎の歴史を語る上で、貿易やキリスト教文化だけでは片手落ちじゃな。江戸幕府の統治と神道の役割を理解する上でも、この東照宮は、まことに重要な存在であると言えるであろう。