結城神社
基本情報
由緒
ふむ、吾輩が語るは、この結城神社の由緒であるぞ。 この神社は、三重県津市藤方に鎮座する、実に由緒正しい場所であるぞ。創建は遥か南北朝時代に遡り、建武3年(1336年)のことである。かの後醍醐天皇に忠義を尽くし、その御世を支えた結城宗広公を祀るために建てられたのじゃ。 結城宗広公は、陸奥国白河を拠点とした武将でな、後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒に並々ならぬ尽力をしたのである。建武の新政においては、陸奥将軍府の要職に就き、奥羽地方の統治に辣腕を振るったのじゃ。しかし、足利尊氏の離反により南北朝の動乱が激化すると、宗広公は迷うことなく南朝方として戦い続けた。延元元年(1336年)、湊川の戦いで新田義貞や楠木正成が敗れた後、宗広公は後醍醐天皇を奉じて吉野へ向かう途中、伊勢国で病に倒れ、この地でその生涯を閉じたと伝えられておるのじゃ。 宗広公の揺るぎない忠義を称え、後醍醐天皇の勅命により、その御霊を祀るためにこの結城神社が創建されたのである。当初は、宗広公の墓所である「結城塚」の近くに、それはそれは小さな社が建てられたのであろう。その後、時代が移り変わるにつれて社殿が整備され、この地の民の篤い信仰を集めるようになったのであるな。 江戸時代には、津藩主であった藤堂家からも深く崇敬され、社領の寄進や社殿の修復が度々行われたのじゃ。明治時代に入ると、近代社格制度において県社に列せられ、地域の中心的な神社としての地位を確立したのである。 現在、結城神社は、結城宗広公の忠義と武勇を伝える神社として、また、学業成就や厄除け、家内安全などのご利益を求める人々から広く信仰されておる。境内には、宗広公の墓所とされる結城塚や、樹齢数百年にも及ぶ御神木があり、歴史の重みを感じさせる厳かな雰囲気に包まれておるのであるぞ。毎年2月には、美しい梅まつりが開催され、多くの参拝者で賑わうのじゃ。