阿志都弥神社・行過天満宮
基本情報
由緒
ふむ、吾輩が白狐の口調で、この神社の由緒を語ってやるぞ。耳を傾けるが良い。 吾輩が見守りし、この高島市今津町弘川に鎮座するは「阿志都弥神社・行過天満宮」である。その由緒は、古き時代の風を纏っておるのじゃ。 まず、阿志都弥神社の方じゃな。その創建は、いつぞやと問われれば、吾輩とて明確な答えは持ち合わせておらぬ。しかし、この地の産土神として、遥か昔より人々から崇敬されてきたのは確かなことであるぞ。祭神は、天孫降臨に縁深き天之忍穂耳命(アメノオシホミミコト)を主とし、その傍らには天照大神(アマテラスオオミカミ)と豊受大神(トヨウケノオオカミ)が相殿に祀られておる。天之忍穂耳命は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の父神にあたり、五穀豊穣、そして国家鎮護の神として、この地を見守ってこられたのじゃな。 さて、もう一方の行過天満宮じゃが、こちらは菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)を祭神とする。その創建の経緯もまた、明確な記録は残っておらぬが、伝承によれば、道真公が九州へと左遷される道中、この地を「行き過ぎた」ことに由来するとされているのじゃ。学問の神、至誠の神として名高き道真公を祀るゆえ、学業成就や合格祈願に訪れる者が後を絶たぬのであるぞ。 かつては、それぞれ独立した社であった両社じゃが、明治の世に発せられた神社合祀令により、阿志都弥神社に行過天満宮が合祀され、現在の「阿志都弥神社・行過天満宮」という名になったのじゃ。これにより、地域の守り神としての役割に加え、学問の神としての信仰も集めるようになったのである。 この地は、古くから琵琶湖の水運と陸路の要衝として栄え、多くの人々が行き交う場所であった。そのような歴史の中で、阿志都弥神社は地域の安全と繁栄を、行過天満宮は人々の学業や文化の発展を見守ってきたと言えるであろう。今もなお、地域の人々にとって心の拠り所であり、様々な祈願のために多くの参拝者が訪れる、まことに由緒正しき神社であるのじゃ。