彌都加伎神社
基本情報
由緒
吾輩が語るは、鈴鹿の地に深く根差す古社、彌都加伎神社の由緒であるぞ。かの神社は、東玉垣町に鎮座し、その創建は遥かなる時の中、定かではないのじゃ。されど、社に伝わる話によれば、天平の御代、729年から749年の間に、伊勢の国司が勅命を奉じて創建したと伝えられておるのじゃ。 主祭神は、天照大神の御子神、天忍穂耳命であらせられる。この神は、稲穂の神、農業の神として、この地の五穀豊穣、産業発展を永きにわたり見守ってこられたのじゃ。 歴史の書を紐解けば、彌都加伎神社は古くよりこの地域の信仰の中心として、栄華を極めてきたことがわかるであろう。延喜式神名帳には「伊勢国河曲郡 彌都加伎神社」と記されており、平安の世には既に、国家に認められた格式高き神社であったことが窺えるのじゃ。 中世には戦乱の嵐に巻き込まれることもあったが、その度に、この地の人々の手によって再建され、篤き信仰が守られてきたのであるぞ。江戸の時代には、紀州藩主からの崇敬も厚く、社殿の修復や祭礼の維持に尽力されたと聞くのじゃ。 明治の御代に入り、近代社格制度のもと、郷社に列せられたのである。その後も、この地域の鎮守様として、氏子崇敬者の厚い信仰を集め、今日に至っておるのじゃ。 現在の社殿は、昭和の初めに再建されたもので、落ち着いた佇まいを見せておるな。境内には、樹齢数百年にもなる御神木が天に向かってそびえ立ち、神社の歴史の深さを物語っておるのであるぞ。毎年秋には例大祭が執り行われ、地域の人々が心を一つにして神賑行事を奉納し、五穀豊穣と地域の安寧を祈願しておるのじゃ。 彌都加伎神社は、古代から現代に至るまで、この地の歴史と人々の暮らしに深く関わり、その信仰を守り続けてきた、まことに貴重な存在であると、吾輩は思うておるのじゃ。