本䏻寺
基本情報
由緒
ふむ、吾輩が語るは、京の都、中京区寺町通御池下ル下本能寺前町に鎮座する、日蓮宗の本山、本能寺の由緒じゃな。その歴史は、日本の戦国乱世の闇に、深く根を張っておるぞ。 永享十年、西暦で言えば一四三八年、日蓮宗の僧、日隆上人によって、この寺は産声を上げたのじゃ。当初は「本応寺」と名乗っておったが、後に「本能寺」と改められたのであるぞ。創建当初の場所は、現在の地より北西、油小路蛸薬師のあたりであったと聞く。そこから幾度となく移転を繰り返し、ようやく今の地に落ち着いたのじゃな。 しかし、この本能寺が、歴史の表舞台に躍り出たのは、天正十年、一五八二年のことじゃ。そう、「本能寺の変」。織田信長という稀代の魔王が、家臣の明智光秀に裏切られ、この寺で自刃した出来事であるぞ。あの時、本能寺は信長の宿所となっておった。光秀の軍勢が襲いかかり、炎上したのじゃ。この一件が、日本の歴史の潮目を、大きく変えたのであるな。 かの変で一度は灰燼に帰した本能寺であるが、豊臣秀吉の命により、現在の寺町通御池下ルの地にて再建されたのじゃ。秀吉の手厚い庇護のもと、多くの支援が寄せられたと聞く。その後、江戸の世に入っても、徳川家康が本能寺を保護し、寺領の寄進なども行われたのであるぞ。 今、本能寺の境内には、織田信長公廟が静かに建っておる。信長の遺徳を偲ぶ人々が、今も絶えることなく訪れるのじゃな。そして、本能寺会館には、本能寺の変に関する資料や、信長ゆかりの品々が展示されておる。歴史の舞台となった場所の記憶を、今に伝える役目を担っておるのであるぞ。 本能寺は、創建以来、幾度となく火災に遭い、移転を繰り返してきた。それでもその都度、不死鳥の如く再建され、日蓮宗の重要な寺院として、人々の信仰を集めてきたのじゃ。特に、本能寺の変という、歴史を揺るがす大事件の舞台となったことで、その名は日本史に、永遠に刻まれておるのであるぞ。