今熊野観音寺

📍 京都府京都市 京都市東山区泉涌寺山内町32

📿 御朱印情報

受付時間

09:00〜16:30

初穂料

直書き

対応

書き置き

対応

📍 Google Maps で開く

基本情報

山号北山
宗派臨済宗相国寺派
本尊観音菩薩
創建1397年(応永4年)
開基足利義満(開基)
文化財世界遺産

由緒

白狐

吾輩は今熊野観音寺に棲まう白狐じゃ。この寺の由緒、吾輩の記憶にある限りを語ってやろうかの。 今熊野観音寺は、京の東山、泉涌寺の山内にひっそりと佇む真言宗の寺院であるぞ。西国三十三所観音霊場の第十五番札所として、多くの巡礼者が訪れる場所じゃな。 その始まりは、平安の世の終わり、文治5年(1189年)にまで遡る。後白河法皇というお方が、熊野信仰に深く帰依しておられたのじゃが、年老いて熊野三山へ度々赴くのが難儀になったのじゃ。そこで、この地に熊野三所権現を勧請し、熊野権現を祀る寺院として開かれたのが、この寺の始まりであるぞ。当初は「新熊野社」と呼ばれ、熊野本宮、速玉、那智の三社を勧請したことから、熊野三山信仰の中心地として大いに栄えたものじゃ。 本尊は十一面観世音菩薩。後白河法皇が熊野詣の折に感得された霊木から彫られたと伝えられておる。観音信仰と熊野信仰が一つになった独特の信仰形態は、多くの人々の心を捉えてきたのじゃな。 鎌倉の世には、皇室からの手厚い庇護を受け、後鳥羽上皇や後嵯峨上皇が度々参詣された。室町の応仁の乱で一時荒れ果てたが、豊臣秀吉の手によって再興され、江戸の世には徳川家康が寺領を寄進するなど、代々の権力者からの保護は途絶えることがなかったのじゃ。 明治の神仏分離令によって、熊野権現は泉涌寺境内の新熊野神社として分かれたが、観音寺は観音霊場としての役目を今も変わらず果たしておる。境内には、後白河法皇の御陵とされる法華堂や、子護大師を祀る子護大師堂などがあり、この地の歴史と信仰の深さを物語っておるのじゃ。 今熊野観音寺は、その昔から、皇室や武士、そして市井の人々まで、幅広い層の信仰を集めてきた由緒ある寺院であるぞ。西国三十三所観音霊場として、また熊野信仰の拠点の一つとして、今も多くの参拝者が絶えることはないのじゃな。

ご利益

子授け・安産厄除け開運健康長寿心願成就

京都府の他の神社