東福寺
基本情報
由緒
吾輩は白狐。悠久の時を生きる者じゃ。ここ東福寺の由緒、吾輩が語って聞かせようぞ。 ここ東福寺は、京の都の東、本町十五丁目の地に鎮座する、臨済宗東福寺派の大本山であるぞ。その始まりは、鎌倉の世、貞永元年(1232年)にまで遡るのじゃ。摂政関白であった九條道家という男が、壮大な夢を抱いて創建したのじゃな。なにしろ、奈良にある東大寺と興福寺、あの二大寺に匹敵するほどの、大きな寺を京にも建てたいと願ったのじゃから。ゆえに、東大寺の「東」と興福寺の「福」を借りて、「東福寺」と名付けたという。なんとも洒落た名ではないか。 開山には、当時、宋から帰ってきたばかりの円爾(聖一国師)という高僧を迎えたのじゃ。この円爾こそ、禅の教えを日本に広めた傑物であるぞ。東福寺は、彼の手によって、禅宗の一大拠点として大きく発展していったのじゃ。創建当初は、七堂伽藍が整然と並び立ち、その規模たるや、京の都では右に出るものがないほどであったのじゃ。特に、今に残る三門は、室町時代に再建されたものだが、国宝に指定されており、禅宗の寺の三門としては、日本で最も古く、そして最大級のものだというから、その威容たるや、見る者を圧倒するであろうな。 この寺は、幾度となく火の災いに見舞われてきたのじゃが、そのたびに不死鳥の如く再建され、多くの貴重な文化財を今に伝えているのであるぞ。室町時代には、足利将軍家の手厚い保護を受け、京の五山の一つに数えられるほど、禅宗の中心的な寺院としての地位を確固たるものにしたのじゃ。また、境内には、通天橋や洗玉澗といった、紅葉の美しい名所が広がり、多くの人々がその絶景に魅了されておるのじゃな。 東福寺は、創建されて以来、禅の精神を伝え続けるとともに、日本の文化や芸術にも多大なる影響を与えてきたのであるぞ。その壮大な伽藍と、豊かな歴史は、日本の仏教史において、まことに重要な位置を占めるものと言えよう。