聖護院門跡

📍 京都府京都市 京都市左京区聖護院中町15

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基本情報

山号北山
宗派臨済宗相国寺派
本尊観音菩薩
創建1397年(応永4年)
開基足利義満(開基)
文化財世界遺産

由緒

白狐

吾輩が語るは、聖護院門跡の由緒であるぞ。かの地は、京の都の左京区に鎮座する、修験道の総本山であるのじゃ。その歴史は、遥か平安の末期にまで遡る、古き物語である。 そもそもの始まりは、白河法皇が熊野三山へ参詣された折、その先達を務めた増誉僧正が、法皇の御命により熊野三山の護持院として開いたことに端を発するのじゃ。当初は「聖護院」の名ではなく、「熊野三山護持院」と呼ばれていたのであるぞ。増誉僧正は、修験道の開祖、役行者の教えを継ぎ、その発展に力を尽くしたのであるな。 鎌倉の世に入ると、後鳥羽上皇が度々熊野三山へ行幸され、聖護院は皇室との結びつきを深めていったのである。後鳥羽上皇は、聖護院を「門跡寺院」と定め、皇族や摂関家の子弟が住持を務めるようになったのじゃ。これにより、聖護院は修験道の中心地としてのみならず、政治的、文化的な拠点としての地位も確立したのであるな。 室町の時代には、足利将軍家からも厚い保護を受け、伽藍の整備や修験道の教義研究が進められたのである。されど、応仁の乱により伽藍は灰燼に帰し、一時衰退の危機に瀕したこともあるのじゃ。 江戸の世に入ると、徳川幕府の支援により復興が進められ、再び修験道の総本山としての威厳を取り戻したのであるぞ。この時期には、修験道の教義を体系化する動きも活発となり、聖護院は修験道の学術的な研究拠点としても重要な役割を果たしたのであるな。 明治維新後、神仏分離令により修験道は一時衰退したが、聖護院は修験道の伝統を守り続け、現在に至るまでその教えを伝えているのじゃ。聖護院門跡は、修験道の歴史と文化を今に伝える、まことに貴重な存在であると、吾輩は思うのであるぞ。多くの人々が、今もなお、かの地に信仰を寄せているのであるな。

ご利益

心願成就厄除け家内安全身体健全開運招福

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