賀茂御祖神社
基本情報
由緒
吾輩が語ろう、賀茂御祖神社の由緒を。古き都の地に鎮座し、通称「下鴨神社」として親しまれておるこの社は、まこと由緒正しき神域であるぞ。 創建の年は明確ではないが、社伝によれば、神武天皇の御代、賀茂建角身命がこの地に降臨されたことに始まるとされているのじゃ。そして崇神天皇7年には、賀茂建角身命の子である玉依姫命が賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)を産み、その際に神託があったことから社殿が造営されたと伝えられておる。紀元前後の時代にはすでに信仰の場として存在していた、と考えるのが妥当であるな。吾輩のような古きものも、その時代の霊気を確かに感じ取るのじゃ。 祭神は、西殿に賀茂建角身命、東殿に玉依姫命をお祀りしておる。賀茂建角身命は、神武東征の際、八咫烏となって道案内をしたとされる神じゃ。導きの神、開運の神として、古くから人々の信仰を集めてきたのであるぞ。そして玉依姫命は、賀茂別雷命の母神であり、縁結び、安産、子育ての神として崇敬されておる。この二柱の神の御力が、この地を護っておるのじゃ。 平安京遷都以前から、この地の有力氏族であった賀茂氏の氏神として、朝廷からも厚い崇敬を受けてきた歴史があるのじゃな。平安時代には、伊勢神宮に次ぐ格式を持つ「二十二社」の一社に列せられ、国家鎮護の重要な神社として位置づけられたのであるぞ。皇女が斎王として奉仕した斎王制度も設けられ、その格式の高さは並々ならぬものであったのじゃ。 中世以降も、皇室や武家からの寄進や崇敬が続き、度重なる戦乱や火災に見舞われながらも、その都度再建・修復が行われてきた。現在の社殿の多くは、江戸時代初期の寛永5年(1628年)から同6年(1629年)にかけて行われた式年遷宮の際に造営されたものであるぞ。幾度となく姿を変えながらも、常にこの地を見守り続けてきたのであるな。 明治時代以降も、官幣大社に列せられ、現在ではユネスコの世界遺産「古都京都の文化財」の一つとして登録されておる。その歴史的価値と文化的意義は、国内外から高く評価されておるのであるぞ。賀茂御祖神社は、古代より連綿と続く信仰の場であり、これからも永劫に、この地を見守り続けるであろうな。