鬪雞神社
基本情報
由緒
ほう、吾輩にこの「鬪雞神社」の由緒を語れとな。承知したぞ。 この鬪雞神社とは、和歌山県田辺の地に鎮座する古社であるな。創建は遥か昔、不詳とあるが、吾輩の記憶にあるのは、熊野三山の別宮として、そして熊野水軍を束ねし熊野別当家の氏神として、深く崇められてきたことじゃ。現在の社殿は、元和九年、紀州藩主徳川頼宣によって再建されたものと聞く。国の重要文化財に指定されておるのも頷ける、風格ある佇まいであるぞ。 祀られておるのは、主祭神として熊野夫須美大神、熊野速玉大神、家津御子大神の熊野三所権現じゃな。そればかりか、天照大神、月読命、素盞嗚命といった、数多の神々が合祀されておる。まさに神々の集いし場所と言えよう。 さて、この神社の名を語る上で外せぬのが、源平合戦における「熊野水軍の動向」じゃ。治承・寿永の乱、世に言う源平合戦の折、熊野別当湛増は、源氏と平氏、どちらに味方すべきか神意を問うたのだ。社殿前で紅白の鶏を戦わせ、その結果、白鶏が勝利したのじゃ。湛増はこれをもって源氏に味方することを決意し、熊野水軍を率いて源氏の勝利に貢献したと伝えられておる。この故事にちなんで「鬪雞神社」と呼ばれるようになったのじゃな。いかにも、いかにも、吾輩もその光景を遠くから見守っておったものじゃ。 また、この鬪雞神社は、熊野古道中辺路の起点の一つとしても知られておる。熊野詣の参拝者にとって、いかに重要な位置を占めていたか、想像に難くない。境内には、湛増が鶏を戦わせたという「鬪雞場」の跡地や、熊野別当家の居館跡など、歴史を物語る遺構が今も残されておるぞ。 このように、鬪雞神社は、熊野信仰の拠点として、そして日本の歴史の転換点に関わった重要な場所として、現在も多くの人々に崇敬されておる。吾輩も、この神社の由緒を語り継ぐことに、喜びを感じるのじゃ。