三千院

📍 京都府京都市 京都市左京区大原来迎院町540

📿 御朱印情報

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基本情報

山号北山
宗派臨済宗相国寺派
本尊観音菩薩
創建1397年(応永4年)
開基足利義満(開基)
文化財世界遺産

由緒

白狐

ふむ、三千院の由緒について、吾輩が語ってやろうではないか。 この三千院と申す寺は、京の都の左京区、大原の地に鎮座する天台宗の寺院であるぞ。その始まりは古く、延暦年間(782~806年)にまで遡るのじゃ。あの伝教大師最澄が、比叡山延暦寺の東塔南谷に「円融房」なるものを建立したのが、その起源であると伝えられておるのじゃな。 当初は比叡山の懐に抱かれておったが、平安時代も後期になると、後白河法皇の皇子である最鎮法親王がこの寺に入られたのじゃ。これにより「円融房」は、皇室と深き縁を結んだ門跡寺院としての色合いを濃くしていったのであるぞ。この頃から「円融院」とも呼ばれるようになったのじゃな。 さて、鎌倉時代へと移ると、度重なる戦乱や火の手により、比叡山での維持が難しくなったのじゃ。そこで円融院は比叡山を下り、京の都のあちこちを転々としたのであるぞ。そして室町時代も後期、応仁の乱などの世の乱れを避けるため、現在の地である大原へと移り住んだのじゃ。大原の地は、比叡山にも近く、また都からも程よい距離があり、隠棲の地として選ばれたのであろうな。 江戸時代に入ると、後水尾天皇の皇子である性真法親王がこの寺に入られたのじゃ。そして寺号を「三千院」と改められたのであるぞ。この「三千院」という名は、性真法親王が比叡山延暦寺の三千坊を束ねる地位におられたことに由来すると言われておるのじゃな。 三千院は、皇室との深き繋がりを持つ門跡寺院として、また天台宗の要となる寺院として、その歴史を刻んできたのであるぞ。今も昔の面影を残す美しい庭園や堂宇、そして国宝の阿弥陀三尊像をはじめとする数多の文化財を擁し、多くの参拝者で賑わっておるのじゃ。

ご利益

精神的安寧家内安全厄除け健康長寿学業成就

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