徳源院

📍 滋賀県米原市 米原市清滝字大門288

📿 御朱印情報

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基本情報

山号北山
宗派臨済宗相国寺派
本尊観音菩薩
創建1397年(応永4年)
開基足利義満(開基)
文化財世界遺産

由緒

白狐

ふむ、吾輩が語る徳源院の由緒、とくと聞くが良い。 徳源院とは、滋賀県米原市清滝に鎮座する、臨済宗妙心寺派の古刹であるぞ。その由緒と歴史は、この地に根差した重要な文化財として、連綿と語り継がれておるのじゃ。 創建は、室町時代中期の文明元年(1469年)と伝えられておる。開基は、近江国の守護大名であった佐々木氏の一族、京極持清公であるのじゃ。京極持清公は、室町幕府の有力な武将として、近江国を中心にその勢力を広げておった。彼は、自身の菩提を弔い、また一族の繁栄を願って、この徳源院を建立したとされておる。開山は、妙心寺の第八世住持、景川宗隆禅師であるぞ。景川宗隆禅師は、当時の禅宗界において高名な僧侶であり、徳源院の創建に際し、その深遠なる教えを広めたのであるな。 徳源院は、創建当初より京極氏の篤い庇護を受け、その隆盛を誇ったものじゃ。特に、京極持清公の子息である京極政経公もまた、徳源院を深く信仰し、寺領の寄進や堂宇の修復を行うなど、寺院の発展に尽力したのであるぞ。この時代、徳源院は京極氏の菩提寺として、また地域の信仰の中心として大いに栄えたのであるな。 しかし、戦国時代に入ると、近江国は度重なる戦乱に見舞われ、徳源院もその影響を免れることはできなかったのじゃ。特に、織田信長公による比叡山焼き討ちの際には、周辺の寺院と同様に大きな被害を受けたと伝えられておる。その後、豊臣秀吉公の時代には、寺領の一部が没収されるなど、一時的に衰退の時期を迎えたのであるな。 江戸時代に入ると、徳川幕府による寺社政策のもと、徳源院は再興の道を歩み始めたのであるぞ。彦根藩主である井伊氏の庇護を受け、堂宇の再建や修復が進められたのじゃ。この時代には、多くの僧侶が徳源院で修行に励み、禅の教えを広く伝えたのである。また、地域の住民からも信仰を集め、法要や祭事が行われるなど、地域社会との結びつきを一層強めていったのであるな。 明治時代に入ると、廃仏毀釈の影響を受け、再び厳しい時代を迎えたのであるが、地域の信仰心に支えられ、その伝統を今日まで護り伝えておるのじゃ。

ご利益

家内安全諸願成就精神修養厄除け

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