清涼寺
基本情報
由緒
吾輩は白狐。清涼寺の由緒を語り聞かせようぞ。 清涼寺は、京の都、右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に佇む、浄土宗の古刹であるぞ。その創始は、平安の世、寛和二年(986年)にまで遡る、まことに由緒正しき寺じゃ。開基は、かの東大寺の僧、奝然(ちょうねん)上人であるぞ。 奝然上人は、遠く宋の国へ渡り、かの五台山にて霊妙なるお告げを受け、釈迦如来像を写し取り、この日本へと帰還したのじゃ。この釈迦如来像こそ、インドの優填王が釈迦の生身を写して造らせたという、伝説に名高い「三国伝来の生身の釈迦像」を模したもので、世に「清凉寺式釈迦如来像」として知られておるのじゃ。この像は、像内に五臓六腑を模した絹製の納入品が収められていることでも有名で、当時の仏像制作技術の精緻さと、信仰の篤さを今に伝える逸品であるぞ。 上人は帰国後、この尊き釈迦如来像を祀るため、父である藤原定佐の山荘を寺へと改めたのじゃ。これこそが清涼寺の始まりである。当初は「棲霞寺(せいかじ)」と称されたが、後に「清凉寺」と改称されたのであるぞ。 清涼寺は、釈迦如来像を本尊とすることから、「嵯峨釈迦堂」とも呼ばれ、古くから庶民の厚い信仰を集めてきたのじゃ。特に、釈迦如来の命日である2月15日の「涅槃会」や、4月8日の「花まつり」は、多くの参拝者で賑わうのじゃ。また、毎年10月に行われる「嵯峨大念仏狂言」は、鎌倉時代から伝わる無言劇で、国の重要無形民俗文化財に指定されており、清涼寺の歴史と文化を象徴する行事の一つであるぞ。 清涼寺は、創建以来、幾度となく火災に見舞われたが、その度に再建され、現在に至るまでその法灯を守り続けておるのじゃ。特に、現在の本堂は江戸時代の寛永年間(1624年~1644年)に再建されたもので、その壮麗な姿は訪れる人々を魅了してやまないであろう。 清涼寺は、その歴史と文化財、そして何よりも「生身の釈迦像」を伝える寺として、日本の仏教史においてまことに重要な位置を占める存在であるぞ。