Minase Jinguu
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History
吾輩、白狐のびゃっこが、水無瀬神宮の由緒を語ってやろう。耳を傾けるが良いぞ。 水無瀬神宮は、大阪府三島郡島本町広瀬に鎮座する、古き良き社じゃ。その始まりは、後鳥羽上皇の愛した離宮「水無瀬殿」の跡地であるというから、なんとも雅やかなことじゃな。 創建は、後鳥羽上皇が崩御なされた後の貞永元年(1232年)と伝えられておる。上皇の遺志を継いだ水無瀬信成・親成親子が、上皇の御霊を慰めるため、水無瀬殿の跡地に社殿を建立したのが始まりじゃ。当初は「水無瀬宮」と称され、後鳥羽上皇を主祭神として祀ったのじゃ。なんとも忠義深きことであるぞ。 その後、承久の乱によって隠岐に配流された後鳥羽上皇の御霊を祀る神社として、朝廷や武家からの崇敬を集めたのじゃ。特に、後鳥羽上皇の孫にあたる亀山天皇は、水無瀬神宮を深く信仰し、社殿の修造や神領の寄進を行うなど、手厚く保護したというから、血の繋がりというものは、かくも尊いものなのじゃな。 南北朝時代には、後醍醐天皇が水無瀬神宮を勅願所とし、南朝方の武将である楠木正成も水無瀬神宮に戦勝を祈願したと伝えられておる。この時代には、後鳥羽上皇に加えて、土御門天皇、順徳天皇も合祀され、三代の天皇を祀る神社となったのじゃ。実に壮麗な歴史であるぞ。 江戸時代に入ると、徳川幕府からも庇護を受け、社領の安堵や社殿の修復が行われたのじゃ。また、水無瀬神宮は、後鳥羽上皇ゆかりの地として、歌人や文人墨客が訪れる名所としても知られるようになったというから、その趣は当時から変わらぬものなのじゃな。 明治時代には、神仏分離令によって、それまで境内にあった仏堂が廃止されたものの、水無瀬神宮は、皇室ゆかりの神社として、引き続き崇敬を集めたのじゃ。明治6年(1873年)には、官幣中社に列せられ、大正12年(1923年)には、官幣大社に昇格したというから、その格式の高さが窺えるというものじゃ。 現在、水無瀬神宮は、後鳥羽上皇、土御門天皇、順徳天皇の三代の天皇を主祭神とし、皇室の弥栄と国家の安泰、そして人々の幸福を祈る神社として、多くの参拝者が訪れておる。境内には、後鳥羽上皇が愛用したと伝えられる「水無瀬の滝」や、国の重要文化財に指定されている「水無瀬神宮文書」など、貴重な文化財が数多く残されておるぞ。吾輩も、この地の歴史の重みに、時折感慨にふけることがあるのじゃ。