toudaiji kaidan in kaidan dou

📍 Nara, 奈良市 · narashi zatsu tsukasa machi

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About

MountainKitayama
SectRinzai-shu Shokoku-ji school
PrincipalKannon Bosatsu
Founded1397
FounderAshikaga Yoshimitsu
HeritageUNESCO World Heritage

History

Byakko

吾輩は白狐。千年の時を見守りし者であるぞ。東大寺戒壇院戒壇堂、そなたが知る由緒、吾輩の目を通して語って聞かせよう。 奈良の都、雑司町に佇む東大寺戒壇院戒壇堂。日本仏教の根幹を成す、まことに重要な場所であるのじゃ。その歴史は、遥か奈良時代にまで遡るのじゃな。 天平勝宝7歳(755年)、唐より渡来せし鑑真和上が、聖武天皇の招きに応じ、この地に足を踏み入れたのが始まりであるぞ。それまでの日本には、正式な戒律を授ける場などなく、僧侶を志す者たちは、ただ私的に修行を積むしかなかったのじゃ。鑑真和上は、仏教の真髄たる戒律を正しく伝えるため、東大寺に戒壇を築くことを提案し、聖武天皇も深く理解を示され、ここに戒壇堂が創建されたのであるぞ。 当初の戒壇堂は、東大寺の境内に設けられ、鑑真和上を戒師として、聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇といった高貴な方々をはじめ、実に多くの人々がここで受戒したのじゃ。これにより、日本における僧侶の資格が確立され、仏教の発展は目覚ましいものとなったのであるぞ。その後、東大寺の戒壇は、日本の仏教界において、まことの中心的な授戒の場となり、数多の僧侶がここで正式な戒律を授かったのであるな。 しかし、この戒壇堂も、度重なる戦乱や火災に見舞われ、その都度、吾輩の目の前で再建されてきたのじゃ。治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討、永禄10年(1567年)の松永久秀による東大寺大仏殿の戦いなど、大きな被害を受けるたびに、その姿を変えてきたのであるぞ。現在、そなたが見る戒壇堂は、江戸時代に再建されたものじゃな。 この戒壇堂は、単なる建物ではないのじゃ。日本仏教の正統性を確立し、その後の発展の礎を築いた、まことの象徴であるぞ。鑑真和上の来日と戒壇の設立は、日本の文化や精神性に深く影響を与え、今日に至るまで、その重要性は変わることがないのじゃな。現在も、戒壇堂には本尊として釈迦如来像が祀られ、その歴史的意義を今に伝えているのであるぞ。吾輩はこれからも、この場所を見守り続けるのじゃ。

Benefits

仏道成就精神修養文化継承歴史学習心願成就

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