kinokuni fun tera
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History
吾輩は白狐。この紀伊国分寺の由緒を、とくと語って聞かせようぞ。 紀伊国分寺とは、奈良の世、聖武天皇の御詔(みことのり)により、全国津々浦々に建立された国分寺の一つじゃな。紀伊国、すなわち今の和歌山県に創建された、由緒正しき寺院であるぞ。その始まりは天平十三年(七百四十年)と伝えられておる。本尊は薬師如来、衆生の病を癒し、安寧をもたらす御仏じゃ。 当時、疫病は蔓延し、飢饉は人々の命を奪い、世は不安に満ちておったのじゃ。聖武天皇は、かかる苦難の世を救うべく、仏の御力にすがったのじゃな。国家の安泰と、民草の幸福を願うて、各国に国分僧寺(金光明四天王護国之寺)と国分尼寺(法華滅罪之寺)を建立せよと詔を発したのであるぞ。この紀伊国分寺も、その御詔に基づき、紀伊国の中心、現在の紀の川市東国分に建立されたのじゃ。 創建当初の伽藍は、七堂伽藍を配した壮麗なものであったと、吾輩は伝聞しておる。しかし、平安の世より、度重なる戦乱や天災に見舞われ、その規模は徐々に縮小していったのじゃ。特に中世は、戦火に巻き込まれることもしばしばで、多くの伽藍が灰燼に帰したと聞く。 江戸の世に入り、紀州徳川家の手厚い保護を受け、ようやく再興の道を歩み始めたのであるぞ。現在の本堂は、江戸時代に再建されたものじゃな。境内には、創建当初の礎石の一部が今も残されており、往時の壮大さを偲ばせるのである。 明治の神仏分離令により、一時荒廃した時期もあったが、その後は地域の人々の信仰と、たゆまぬ努力により、再び寺院としての活動を再開したのじゃ。今もなお、地域の人々の厚い信仰を集める寺院として、その歴史と伝統を脈々と受け継いでおるのであるぞ。 紀伊国分寺は、奈良時代の国家仏教政策の一端を担い、紀伊国の精神的な中心として、重要な役割を果たしてきたのじゃ。その歴史は、日本の仏教史、そしてこの地の歴史と深く結びついておるのであるぞ。