nose myouken yama
📍 Osaka, 豊能郡 · toyono gun nose machino aidajuu 661
📿 Goshuin Info
Hours
09:00–16:30
Fee
—
Direct-write
Available
Pre-written
Available
About
Founded1920
EnshrinedEmperor Meiji, Empress Shoken
RankImperial Shrine (Kanpei Taisha)
FestivalNovember 3 (Annual Festival)
HeritageHonden (Registered Cultural Property)
Website www.meijijingu.or.jp/en/
History
吾輩は白狐。この能勢妙見山に古くから棲まう者であるぞ。吾輩の記憶にある由緒を、そなたらに語って聞かせようかのう。 この能勢妙見山は、元は「無漏山 眞如寺 境外仏堂 能勢妙見山」と申す。日蓮宗の寺院でありながら、能勢氏の信仰と密接に結びついておるのじゃ。 その始まりは、戦国時代の天文・永禄年間まで遡る。能勢氏の祖である能勢頼忠公が、日乾上人に深く帰依し、妙見大菩薩を祀る堂宇を建立したのが事の起こりじゃな。妙見大菩薩とは、北極星・北斗七星を神格化したもの。国土を守り、災厄を除き、人々の運命を司る、まこと尊き信仰の対象であるぞ。能勢氏は、この妙見大菩薩を氏神として崇め、能勢氏代々の守護神としたのじゃ。 江戸時代に入ると、能勢頼次公が徳川家康公の信任を得て、能勢の地を安堵された。これを機に、妙見信仰はますます隆盛を極めることとなる。頼次公は、妙見山を能勢氏の祈願所として整え、現在の伽藍の基礎を築いたのじゃ。特に、元和2年(1616年)には、徳川家康公の遺命により、能勢妙見山が幕府公認の祈願所となり、全国から多くの参拝者が訪れるようになったのは、吾輩もよく知っておるぞ。 明治維新後、神仏分離令によって、妙見山は一時的に神道の気配を帯びたが、日蓮宗の寺院としての信仰は微塵も揺るがず、今日に至るまで、開運厄除、星祭りの寺として、多くの人々に篤く信仰されておる。能勢妙見山は、能勢氏の歴史と共に歩み、この地域の信仰の中心として、その伝統と歴史を今に伝え続けておるのじゃ。
Benefits
開運厄除け家内安全運命開拓国土安泰