Yada Tera
📿 Goshuin Info
Hours
09:00–16:30
Fee
—
Direct-write
Available
Pre-written
Available
About
History
ほう、矢田寺の由緒とな。吾輩が語ってやるぞ。耳を傾けるがよい。 奈良県大和郡山市矢田町に佇む、高野山真言宗の寺院、それが矢田寺じゃ。世間では「あじさい寺」と呼んで親しんでおるようじゃな。初夏ともなれば、境内を埋め尽くす数万株のアジサイが咲き乱れ、多くの者がその美しさに目を奪われにやって来るのであるぞ。 寺伝によれば、その始まりは遠く飛鳥時代まで遡る。679年、後の天武天皇となられた大海人皇子が、不思議な夢のお告げを受け、矢田山へと足を踏み入れたのじゃ。するとどうじゃ、そこに地蔵菩薩が姿を現されたというではないか。この尊き地蔵菩薩を本尊とし、堂宇を建立したのが、この寺の始まりであると伝えられておる。当初は「矢田山金剛山寺」と名乗っておったのじゃな。 平安の世に入ると、弘法大師空海の高弟であらせられる真如法親王がこの寺に入山され、真言密教の道場として、その力を大きく伸ばしていったのじゃ。真如法親王は、地蔵菩薩の霊験を広く人々に伝え、多くの信仰を集められた。この頃より、矢田寺は地蔵信仰の中心地として、大いに栄えるようになったのであるぞ。 鎌倉の時代には、源頼朝がこの寺に深く帰依し、伽藍の修復や寄進を行うなど、手厚い保護を受けたものじゃ。また、南北朝の戦乱の世には、南朝方の拠点の一つとなり、幾度となく戦火に巻き込まれることもあったが、その都度、人々の手によって見事に復興を遂げてきたのである。 江戸の泰平の世には、徳川将軍家からも庇護を受け、寺領の寄進や伽藍の再建が行われたものじゃな。この時代には、庶民の間にも地蔵信仰が広まり、矢田寺は「矢田のお地蔵さん」として、多くの人々に親しまれるようになったのであるぞ。 明治の御代に入り、神仏分離令によって一時衰退の憂き目を見たこともあったが、その後、地域の人々の並々ならぬ努力によって、見事な復興を果たしたのじゃ。現在では、地蔵信仰の聖地として、そしてアジサイの名所として、多くの人々に親しまれておるのであるぞ。 本尊は地蔵菩薩で、秘仏として厳かに安置されておる。境内には、本堂、地蔵堂、多宝塔など、長い歴史を物語る建造物が点在し、四季折々の美しい自然と共に、静かで厳かな空間が広がっておるのじゃ。