dai choku ne kogami sha
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History
ふむ、吾輩が語るは、かの大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)の由緒であるぞ。奈良の桜井市三輪にひっそりと鎮座するこの社は、大神神社の摂社として、深き崇敬を集めておるのじゃ。 その創建は、遠い昔、神代の昔にまで遡るのじゃろうな。祭神である大直禰子命(おおたたねこのみこと)の御存在こそが、大神神社の創建と密接に結びついておる証であるぞ。大直禰子命とは、大神神社の祭神、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の神託を受け、初めて大神大神を祀ったと伝えられる意富多々泥古命(おおたたねこのみこと)と同一視されるか、あるいはその末裔であるとされておるのじゃ。 かの『古事記』や『日本書紀』にも記されておるが、崇神天皇の御代に疫病が蔓延した際、大物主大神の御神託により、その子孫である意富多々泥古命を祭主として祀ったところ、疫病がぴたりと収まったというではないか。このことからも、大直禰子神社が、大神神社の祭祀の始まりに関わる重要人物を祀る社として、古くから存在していたことは、疑いようのない事実であるぞ。 大神神社が、古代より国家的な祭祀の対象であったことを考えれば、その祭祀を担った人物を祀る大直禰子神社もまた、極めて重要な位置を占めていたと見るべきじゃな。特に、大神神社が、神体山である三輪山を御神体とする、日本最古の神社の一つであるという特性を鑑みれば、その祭祀を司る家系や人物への崇敬は、それはもう篤いものであったと想像できるのじゃ。 現在も、大直禰子神社は大神神社の摂社として、本殿の東側に静かに佇み、大神神社の祭祀と深く結びついておる。境内には、大直禰子命が植えたとされる「くすのき」の古木がそびえ立ち、その歴史の深さを今に物語っておるのじゃよ。 このように、大直禰子神社は、大神神社の創建と祭祀の歴史を語る上で、決して欠かすことのできぬ存在であるぞ。古代の信仰のあり方を、今に伝える貴重な社であると、吾輩は断言するのじゃ。