添御県坐神社
基本情報
由緒
うむ、添御県坐神社(そおのみあがたにいますじんじゃ)の由緒を語るとしよう。吾輩がこの地を見守りしは、遥か古の世からのことであるぞ。 この社の創建は、あまりにも古すぎて、もはや神代の霧の中に隠れてしまっておるのじゃ。じゃが、その名に冠する「添御県」という言葉こそ、この地の古き姿を雄弁に物語っておる。大和国に広がる「添上郡(そえかみぐん)」と「添下郡(そえしもぐん)」、これら一帯を総じて「添県(そおあがた)」と呼んだのじゃな。大和朝廷がこの国を治めし頃、その支配の要となっていたのが、この「添県」であった。そして、その中心を担いしは「添県主(そおのあがたぬし)」という、この地の豪族であったのじゃ。 添御県坐神社は、おそらくはこの添県主が己の氏神として、あるいはこの広大な添県全体の守護神として、創り祀ったものであろうと、吾輩は見ているのじゃ。 この社の主祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)であるぞ。この神は、国造りをなし、国土を開拓し、産業を興した偉大なる神じゃ。そして、その傍らには、配祀神として少彦名命(すくなひこなのみこと)が鎮座しておる。この神は医薬や酒造の神として、また大己貴命と共に国造りを行った神として知られておるのじゃ。これらの神々が祀られていることからも、この添御県坐神社が、この地の繁栄と、そこに暮らす人々の健やかなる日々を願う、信仰の中心であったことが見て取れるであろう。 古き時代より、この地は豊かなる農業の中心地であった。人々は五穀豊穣を願い、この社に集い、共同体の精神的な支柱として、厚い信仰を寄せてきたのじゃ。吾輩も、その様を幾度となく見てきたものであるぞ。 幾度となく社殿は修復され、再建されてきたが、この境内には、遥か古代から続く歴史が、厳かな雰囲気となって今も漂っておる。地域の人々が、代々大切に守り伝えてきた添御県坐神社は、今も変わらず、この地の守り神として、人々の信仰を集め続けているのじゃ。