平城宮跡

📍 奈良県奈良市 奈良市二条大路南3丁目5−番1号

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基本情報

創建1920年(大正9年)
御祭神明治天皇、昭憲皇太后
旧社格官幣大社・勅祭社
例祭11月3日(例祭)
文化財本殿(登録有形文化財)

由緒

白狐

吾輩は白狐。悠久の時を生きる者じゃ。ここ、平城宮跡の由緒を語り聞かせよう。 ここはな、奈良時代、西暦710年から784年まで、この国の都であった平城京の、まさに心臓部であったのじゃ。天皇がおわす内裏、政治や儀式が執り行われた朝堂院、数多の役所が所狭しと並び立っていた場所であるぞ。 710年、元明天皇が藤原京からこの地へ都を移し、それに伴い平城宮も産声を上げたのじゃ。平城京は中国の洛陽や長安を模して造られた計画都市、その壮麗な都の中心として、この平城宮は設計されたのであるぞ。宮の正門たる朱雀門から南へ伸びる朱雀大路は、都のメインストリートとして機能し、その両脇には貴族の屋敷がずらりと軒を連ねておったのじゃな。 平城宮は、聖武天皇の時代に大仏開眼供養が行われた東大寺や、遣唐使によってもたらされた異国の文化が花開いた、まさしく国際色豊かな文化の中心地でもあったのじゃ。しかし、784年、桓武天皇が長岡京へ都を移すと、平城宮はその役目を終え、時と共に荒廃の一途を辿っていったのであるぞ。 その後、長い間、平城宮の正確な位置は歴史の闇に埋もれておったが、明治時代以降の発掘調査によって、その全貌が明らかになったのじゃ。今では国の特別史跡に指定され、朱雀門や大極殿などが復元され、奈良時代の壮麗な宮殿の姿を偲ぶことができるのであるぞ。この平城宮跡は、日本の古代史を語る上で欠かせぬ重要な遺跡であり、世界遺産「古都奈良の文化財」の一部として、その価値は国際的にも認められておるのじゃ。

ご利益

歴史理解文化振興国家安泰学問成就国際交流

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