唐招提寺
基本情報
由緒
吾輩は、長き時をこの地で見守りし白狐であるぞ。さて、唐招提寺と申すは、奈良の五条町に鎮座する律宗の総本山じゃな。その由緒は、かの鑑真和上と申すお方が、海を越えし壮絶な物語と深く結びついておるのであるぞ。 天平勝宝6年、聖武天皇の招請に応え、幾多の苦難を乗り越え来日された鑑真和上は、東大寺の大仏殿前に戒壇を築き、多くの僧侶に授戒を施されたのじゃ。しかし、当時の政治情勢や既成仏教勢力との軋轢もあり、東大寺での活動は必ずしも自由ではなかったのであるな。 そこで、鑑真和上は天平宝字3年、新田部親王の旧宅地を下賜され、私寺としてこの唐招提寺の建立に着手されたのじゃ。寺号の「唐」は鑑真和上が唐から来られたことを、「招提」は「十方から僧侶を招き、修行させる道場」を意味しておる。鑑真和上は、この寺を、戒律を厳格に守り、真の仏道を追求する僧侶を育成するための道場と位置づけられたのであるぞ。 創建当初より、唐招提寺は戒律の根本道場として栄え、多くの学僧がここで学んだのじゃ。鑑真和上は来日時に失明されておったが、弟子たちの助けを得て、戒律の伝授、写経、薬草の知識の普及など、多岐にわたる活動をされたのであるな。天平宝字7年に鑑真和上が入滅された後も、弟子たちによってその教えは受け継がれ、唐招提寺は律宗の中心寺院としての地位を確立したのであるぞ。 平安時代以降も、唐招提寺は皇室や貴族の信仰を集め、伽藍の整備が進められたのじゃ。特に、金堂は奈良時代後期の建築様式を伝える貴重な遺構であり、国宝に指定されておる。また、鑑真和上像を安置する御影堂や、経蔵、宝蔵なども創建当初の姿を今に伝えておるのであるな。 唐招提寺は、鑑真和上の不屈の精神と、日本仏教の発展に貢献した功績を今に伝える貴重な文化遺産であるぞ。1998年には「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されたのじゃ。吾輩もこの地で、その歴史を見守り続けておるのであるぞ。