bimyou tera
About
History
吾輩が語ろう、この「微妙寺(みみょうじ)」の由緒をな。滋賀県大津市園城寺町に鎮座する、天台宗の古刹であるぞ。かの三井寺(園城寺)とは、血よりも濃い縁で結ばれておるのじゃ。 創建は平安の世、貞観年間(859年~879年)と伝えられておる。かの円珍(智証大師)が、この地に伽藍を築いたとされるのじゃな。円珍といえば、天台宗の第三代座主にして、荒廃せし三井寺を再興した稀代の傑物であるぞ。この微妙寺は、円珍が三井寺の別院として建立したとされ、三井寺の教学と修行を陰ながら支える、まことに重要な役割を担っておったのじゃ。 本尊は、十一面観音菩薩である。この尊き御仏は、円珍が唐の国より持ち帰ったものか、あるいは円珍自らが魂を込めて彫り上げたものと伝えられておる。その霊験はまことにあらたかで、古より多くの人々の信仰を集めてきたのであるぞ。 歴史を紐解けば、三井寺が比叡山延暦寺と激しく対立した時代、この微妙寺もまた、その嵐に巻き込まれてきたのじゃ。特に中世以降、戦乱の世において、三井寺が幾度も兵火に遭うた折には、この微妙寺もまた、その炎に焼かれたであろうと推測される。しかし、その都度、人々によって再建され、信仰の灯火を絶やすことなく存続してきたのであるぞ。 江戸の泰平の世には、徳川幕府の厚き庇護を受け、寺領の寄進などにより、その寺勢を回復したのである。この時期には、数多の学僧がこの微妙寺に集い、天台宗の教学の発展に多大なる貢献をしたのであるぞ。 明治の御代、神仏分離令や廃仏毀釈の荒波を受け、一時衰微の憂き目を見たのじゃが、地域の人々の篤い信仰に支えられ、今日までその姿を留めておるのである。 微妙寺は、三井寺の歴史と深く結びつきながら、平安の世より現代に至るまで、地域の信仰の中心として、そして天台宗の深遠なる教学を伝える場として、その責務を果たし続けておるのじゃ。その静謐な佇まいの中には、千二百年近い悠久の歴史の重みが、深く刻まれておるのであるぞ。