Rozan Tera

📍 Kyoto, 京都市 · kyoutoshi joukyou ku teramachidoori hirokouji ue ru kita yuki hen machi 397

📿 Goshuin Info

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About

MountainKitayama
SectRinzai-shu Shokoku-ji school
PrincipalKannon Bosatsu
Founded1397
FounderAshikaga Yoshimitsu
HeritageUNESCO World Heritage

History

Byakko

吾輩が語るは、京の都に佇む古刹、廬山寺の由緒じゃ。 廬山寺は、京都市上京区、寺町通広小路にひっそりと息づく天台宗の寺院であるぞ。その歴史は、遥か平安の世まで遡るのじゃ。 始まりは元慶四年(八八〇年)、宇多天皇の勅願により、藤原北家の血を引く征夷大将軍、藤原良真の手によって、船岡山の南の麓に建立されたのがことの起こりじゃな。当初は「廬山天台講寺」と称され、学問の寺としての顔が強く、多くの学僧がここで己を磨いたものじゃ。本尊は、慈悲深き阿弥陀如来であるぞ。 その後、廬山寺は皇室や貴族の厚い信仰を集め、大いに栄えたのじゃ。特に、紫式部が『源氏物語』を紡いだ屋敷の跡に建つ寺として、世に知られておる。境内には、今も紫式部邸宅跡の石碑が静かに佇んでおるのじゃ。これは、紫式部の父、藤原為時が、この地に邸宅を構えていたことに端を発する話であるぞ。 しかし、世は移ろい、応仁の乱(一四六七年~一四七七年)の炎によって、伽藍は無残にも焼失し、一時衰退を余儀なくされたのじゃ。その後、天正年間(一五七三年~一五九二年)に、天下人たる豊臣秀吉の命により、現在の地、京都御苑の東隣へと移転・再興されたのであるぞ。この移転によって、寺は再び活気を取り戻し、江戸時代には皇室との絆も深く、門跡寺院としての格式を保ち続けたのじゃ。 明治維新後の激動の時代には、神仏分離令や廃仏毀釈の嵐に揉まれ、寺領の一部を失うなど、苦難の道を歩んだ時期もあったが、多くの人々の尽力によって、寺は守り抜かれ、今日に至っておるのじゃ。 廬山寺は、平安の創建から現代まで、幾多の変遷を乗り越えてきた。皇室や貴族の信仰を集め、紫式部ゆかりの地として文学史にも名を刻み、応仁の乱からの復興、そして現在の地への移転と再興など、日本の歴史の大きな流れの中でその姿を変えながらも、信仰の場として、また貴重な文化財を伝える寺として、重要な役割を果たし続けておるのじゃ。境内には、本堂の他に、紫式部邸宅跡の庭園「源氏庭」や、厄除けで名高い角大師像を祀る元三大師堂などがあり、今も多くの参拝者が訪れておるぞ。

Benefits

学問厄除け繁栄文学成就家内安全

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