ishi za jinja
About
History
うむ、石坐神社か。吾輩が見てきた数多の社の中でも、なかなかに古色蒼然たる風情を湛えた場所であるぞ。 その由緒を語るならば、和銅年間、つまりは西暦七百八年から七百十五年の間の創祀であるという。当時の世はまだ荒々しく、人々の暮らしもままならぬ時代であったのじゃ。そんな折、この地に悪しき疫病が蔓延し、多くの命が失われたと聞く。朝廷はこれを憂い、人々の苦しみを救わんがため、この社を建立せしめたのじゃな。疫病退散を祈願する、その切なる願いが込められた社であるぞ。 主祭神は、天照大御神の御子なる天忍穂耳命と、その妃たる栲幡千々姫命である。この二柱の神は、天孫降臨という、この国の礎を築いた神話において、まことに重要な役割を担われた神々であるぞ。五穀豊穣、そして国家鎮護の神として、古来より篤く信仰されてきたのは当然の理であるな。この石坐の地において、人々の暮らしを見守り、豊かな実りを授けてこられたのじゃ。 中世には、近江源氏の雄たる佐々木氏が深く崇敬し、社殿の造営や修復に尽力したという。また、江戸の世においては、膳所藩主本多氏からも手厚い保護を受け、社領の寄進や祭礼の支援も行われた。時の権力者たちが、こぞってこの社を敬い、その維持に力を尽くしてきたことからも、石坐神社がいかに重要な存在であったかが窺えるというものじゃな。 明治の御代には、近代社格制度において村社に列せられ、地域の鎮守としてその役割を担い続けた。そして現在に至るまで、毎年春には盛大な例大祭が執り行われ、多くの参拝者で賑わう光景は、吾輩の目にもまことに微笑ましく映るのじゃ。 石坐神社とは、ただの社ではない。この地の歴史、そして人々の営みを、悠久の時を超えて見守り続けてきた、まことに由緒深き存在であるぞ。その佇まいには、古き良き時代の息吹が、今なお確かに宿っておるのじゃな。