Awata Jinja
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History
ふむ、粟田神社の由緒を語れと申すか。よかろう、吾輩が語り聞かせよう。 京の都の東の玄関口、東山区粟田口鍛冶町に鎮座するは、粟田神社じゃ。その由緒たるや、平安の御世、貞観五年(八六三)にまで遡る、古き社であるぞ。当時は、今の場所より少しばかり北東の、粟田口の地に産声を上げたのじゃ。 祀られしは、荒ぶる神にして厄除け・疫病退散の御神威を誇る素盞嗚尊(すさのおのみこと)と、この国の礎を築き、人々の病を癒す大己貴命(おおなむちのみこと)じゃな。粟田口は古より京へ入る要衝、都へ行き交う人々や、都に暮らす者たちが、疫病や災厄から身を守るために、この粟田神社に深く深く信仰を寄せたのは、当然の理であるぞ。 幾度となく戦火に見舞われ、社殿は灰燼に帰したこともあったのじゃ。特に、応仁の乱(一四六七~一四七七)では、無残にも社殿が焼失したが、その度に人々は力を合わせ、再びこの地に社を築き上げたのじゃ。江戸の世に入ると、徳川の幕府の庇護を受け、社領の寄進や社殿の修復が行われ、再び賑わいを取り戻したのじゃな。なにせ、粟田口は東海道の起点の一つ、旅路の安全を祈る者たちで、社の境内はいつも人で溢れておったものじゃ。 明治の御代、神仏分離の令により、境内にあった神宮寺は姿を消したが、神社としての信仰は、変わることなく受け継がれてきたのじゃ。今もなお、厄除け、疫病退散、交通安全、家内安全など、様々な願いを抱えた人々が、この社を訪れるのじゃ。そして、毎年十月に行われる「粟田祭」は、京の都でも指折りの歴史ある祭礼として知られ、剣鉾や神輿が街を練り歩く様は、見物客で大層賑わうのであるぞ。 このように、粟田神社は平安の昔より現代に至るまで、京の東を守護する神として、また人々の暮らしに寄り添う社として、その歴史と伝統を、脈々と守り続けているのであるぞ。