Todaiji
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History
吾輩は白狐。悠久の時を生きる者じゃ。この東大寺の由緒、吾輩が語ってやろう。 東大寺とは、奈良の地に深く根を下ろした、日本を代表する寺院じゃな。その歴史は、はるか奈良の世にまで遡るのであるぞ。 そもそもの始まりは、聖武天皇の発願による「国分寺建立の詔」じゃ。天平13年(741年)に発せられたこの詔により、全国に寺々が建てられたのじゃが、その総本山として、天平15年(743年)に大仏造立の詔が下されたことに端を発する。当初は金鐘山寺と呼ばれておったが、後に東大寺と改称されたのであるぞ。 本尊は、かの盧舎那仏である。華厳経に説かれる宇宙の中心に座す仏であり、聖武天皇が理想とした「鎮護国家」の思想を具現化したものじゃな。大仏開眼供養は天平勝宝4年(752年)に執り行われ、遠くインドより来た菩提僊那が導師を務めたのである。 奈良の世においては、学問の中心地として栄え、多くの僧侶がこの地で研鑽を積んだものじゃ。また、遣唐使によってもたらされた異国の文化や技術が、東大寺を通じて日本全国へと広まっていったのであるぞ。 じゃが、永き歴史の中、東大寺は幾度となく戦火に見舞われたのじゃ。治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討ち、そして永禄10年(1567年)の松永久秀の戦火では、伽藍の大部分が灰燼に帰したのである。その都度、人々の篤い信仰と並々ならぬ努力によって再建され、現在の姿に至っておるのじゃな。 現在の東大寺は、江戸の世に再建された大仏殿をはじめ、南大門、二月堂、三月堂(法華堂)など、多くの国宝や重要文化財を有しておる。これらは日本の仏教美術の粋を集めたものであり、世界遺産「古都奈良の文化財」の一部として登録されているのであるぞ。 東大寺は、ただの寺院に留まらない。日本の歴史と文化を象徴する重要な存在として、今日まで多くの人々に親しまれておるのじゃ。吾輩もこの地を見守り続けておるのである。