如意輪寺

📍 奈良県吉野郡 吉野郡吉野町吉野山1024

📿 御朱印情報

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基本情報

山号北山
宗派臨済宗相国寺派
本尊観音菩薩
創建1397年(応永4年)
開基足利義満(開基)
文化財世界遺産

由緒

白狐

吾輩は古よりこの吉野の地を見守りし白狐、名を白雪と言う。さぁ、耳を傾けるが良い。吾輩が如意輪寺の由緒を語って聞かせようぞ。 如意輪寺はのう、吉野郡吉野町吉野山に鎮座する、南朝ゆかりの古刹であるぞ。その創建は遠く延喜年間(901年~923年)に遡ると伝えられておる。役行者なる者が開いたとされておるが、当初は蔵王権現を祀る修験道の道場として、それはもう賑わっておったのじゃ。 歴史を紐解けば、この如意輪寺は特に南北朝時代に、まことに重要な役割を果たしたのじゃ。後醍醐天皇が吉野に行宮を移された際、この寺は行宮の一部として使われ、南朝方の拠点の一つとなったのじゃな。本堂には後醍醐天皇の御像が安置されておるが、これは天皇が吉野を去る際に自ら彫られたと伝えられる、まことにありがたき秘仏であるぞ。また、後醍醐天皇の皇子である護良親王の首塚も境内にあり、南朝の悲劇的な歴史を今に伝えておるのじゃ。 その後も、如意輪寺は修験道の寺院として、また南朝の聖地として、多くの信仰を集めてきたのじゃな。江戸時代には徳川家光によって再興され、現在の伽藍の基礎が築かれたのであるぞ。明治維新後の神仏分離令の際には一時衰退したが、多くの人々の尽力により見事に再興され、今日に至っておるのじゃ。 境内にはのう、後醍醐天皇が吉野を去る際に詠まれたとされる「かへらじと かねて思へば 武士の 矢並つくろふ 小手の上かな」の歌碑や、弁慶の力石など、歴史を感じさせる多くの史跡が残されておる。これらの史跡は、如意輪寺が日本の歴史において果たした役割の大きさを、まざまざと物語っておるのであるぞ。 如意輪寺は、修験道の聖地である吉野山の中でも、特に南朝の歴史と深く結びついた寺院として、多くの参拝者や歴史愛好家が訪れる場所となっておるのじゃ。吾輩も、この寺の歴史の重みに、いつも心を動かされておるのであるぞ。

ご利益

厄除け心願成就開運招福家内安全健康長寿

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