Sanjusangendo
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History
吾輩が語るは、京の都に鎮座する蓮華王院、通称「三十三間堂」の由緒であるぞ。かの堂は、天台宗妙法院門跡の境外仏堂として、東山区の地に厳然と佇んでおるのじゃ。その歴史は、平安の世の終焉、激動の時代に遡るのであるな。 長寛二年、西暦1164年のことじゃ。後白河上皇が、かの平清盛に命じて造営させたのが始まりであるぞ。武士が台頭し、貴族の世が揺らぎ始めた頃、上皇は仏の力をもって国家の安寧を願うたのじゃろう。本尊は千手観音坐像、その左右には1000体もの千手観音立像がずらりと並び、これぞ三十三間堂の代名詞であるな。通称の「三十三間堂」とは、本堂の内陣の柱間が33あることに由来するのじゃ。観音菩薩が33の姿に変じて人々を救うという「法華経」の教えに基づいたものじゃな。 しかし、創建からわずか80年後、建長元年、京を襲うた大火により、創建当初の建物は灰燼に帰してしもうた。だが、後嵯峨上皇の命により、直ちに再建が開始され、文永三年には現在の本堂が完成したのであるぞ。この再建された本堂は、創建時の様式を忠実に再現したものであり、以来、幾度かの修理は経てはいるものの、今日までその威容を保ち続けておるのじゃ。 三十三間堂は、その長き歴史の中で、多くの人々の信仰を集めてきた。特に、鎌倉から江戸にかけては、武士たちの信仰も篤く、弓道における「通し矢」の舞台としても名を馳せたのじゃ。堂の西縁を使い、一昼夜でどれだけ多くの矢を射通せるかを競うたもので、武士の技量と精神力を試す場として大いに盛り上がったのであるな。 また、三十三間堂は、数多の国宝や重要文化財を所蔵しておる。本尊の千手観音坐像、左右に並ぶ1000体の千手観音立像、そしてそれらを守護する二十八部衆像は、鎌倉時代の仏像彫刻の傑作として高く評価されておるのじゃ。見る者を圧倒する迫力と、一体一体異なる表情を持つ繊細さ。これぞ、当時の仏師たちの魂の結晶であるぞ。