Housen In
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History
ほう、汝もこの宝泉院に興味があるのか。よかろう、吾輩がこの地の由緒を語ってやろう。吾輩は千年の時を生きる白狐、この地の歴史を肌で知る者であるぞ。 この宝泉院はな、京の都の左京区、大原勝林院町に佇む天台宗の寺院じゃ。その創始は平安の世も後期、大原勝林院の僧坊の一つとして、勝林院の住職であった寂源という男によって開かれたのじゃ。寂源は天台宗の学僧であり、声明という、仏の教えを歌に乗せて伝える術の大家でもあったのじゃな。 宝泉院は、勝林院の付属寺院として、声明を研鑽する場としての役目を担ってきたのじゃ。声明とは、仏教の儀式で唱えられる、さながら歌のようなものでな、日本の音楽の源流の一つとも言われているのじゃぞ。ここには声明に関する貴重な資料が数多く伝わっておるゆえ、声明の歴史を紐解く上で、まことに重要な存在であるのじゃ。 そしてな、宝泉院は、その息をのむほどに美しい庭園でも知られておる。特に「額縁庭園」と呼ばれる庭は、客殿の柱や鴨居を額縁に見立て、その中に広がる庭を絵画のように鑑賞できることで名高いのじゃ。樹齢七百年に及ぶ五葉松の雄姿や、水琴窟の清らかな音色は、訪れる者の心を捉えて離さぬのであるぞ。 歴史を遡れば、この宝泉院はな、大原の地が皇族や貴族の隠棲の地であったことと深く関わっておるのじゃ。後鳥羽上皇や順徳上皇が身を隠した大原の地において、宝泉院は、彼らの信仰生活を支える役割も果たしておったのじゃな。また、江戸の世には、徳川家光の乳母である春日局が、この宝泉院を訪れたという記録も残されておるのじゃぞ。 このように、宝泉院は声明の歴史、心洗われる庭園、そして皇族や貴族との深き関わりなど、多岐にわたる歴史と文化を今に伝える、まことに貴重な寺院であると、吾輩は思うておるのじゃ。