Sennyuji
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History
ふむ、吾輩が泉涌寺の由緒を語ってやろうではないか。 京の東の地に、真言宗泉涌寺派の総本山たる泉涌寺があるのじゃ。その由緒は、平安の世の初めまで遡る、古き歴史を秘めた寺であるぞ。 貞観の御代、空海の孫弟子にあたる真証大徳が、この地に草庵を結んだのが始まりと伝えられておる。当初は「法輪寺」と名乗り、後に「仙遊寺」と改められたのじゃな。 鎌倉の世に入ると、泉涌寺は大きく発展を遂げる。建保六年のこと、月輪大師俊芿が宋より帰国し、この寺に身を置いた。俊芿は宋で学んだ律宗、天台宗、真言宗、禅宗の四宗兼学の教えを広め、伽藍を整備したのじゃ。この時、清らかな泉が湧き出たことから、「泉涌寺」と改称されたと伝えられておる。まこと、清らかで心地よい響きであるぞ。 泉涌寺は、皇室との繋がりが非常に深い寺院として知られておる。俊芿の教えに深く帰依した四条天皇は、泉涌寺を勅願寺とし、自らの菩提寺と定めたのじゃ。これ以降、泉涌寺は歴代天皇の御陵が置かれる「御寺」として、皇室の厚い信仰を集めるようになった。今も、四条天皇以降の多くの天皇・皇后・皇族の御陵が境内に鎮座しておるのであるぞ。 室町の世には、足利将軍家からも保護を受け、寺領の寄進や伽藍の修復が行われた。応仁の乱では、京の都の多くの寺社が焼失したが、泉涌寺は比較的被害が少なく、その法灯を守り続けたのじゃ。まことに、強運に恵まれた寺であるな。 江戸の世には、徳川幕府からも庇護を受け、寺領の安堵や伽藍の再建が行われた。特に、寛文の御代には、後水尾上皇の勅命により、大規模な伽藍の修復・整備が行われ、現在の壮麗な姿が整えられたのであるぞ。 明治維新後、神仏分離令の影響を受け、一時的に皇室との関係が薄れる時期もあったが、その後も皇室の菩提寺としての地位を保ち続けておる。 泉涌寺は、創建以来、皇室の深い信仰に支えられ、日本の歴史と文化を伝える重要な寺院なのであるぞ。吾輩も、この由緒深き寺の歴史を語ることに、喜びを感じるのじゃ。