青蓮院
📍 京都府京都市 京都市東山区粟田口三条坊町69-1
基本情報
宗派 天台宗
本尊 熾盛光如来
創建 平安時代
開基 伝教大師最澄(開基)
文化財 青不動明王(国宝)
京都市で続けて巡る
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2026-05-08 〜 2026-09-30
由緒
青蓮院の由緒、とくと聞くのじゃ。吾輩が語るは、京の都、東山区粟田口三条坊町に鎮座する、天台宗の門跡寺院にまつわる千年の物語であるぞ。 その始まりは、平安の世にまで遡るのじゃ。鳥羽天皇の御代、美福門院がこの地に「青蓮院」なる寺を建立したと伝わるが、より確かなはなしは、比叡山延暦寺の座主であった慈円が、この地に草庵を結び、後に寺院として発展させたという説じゃな。摂関家九条兼実の弟である慈円の庇護を受け、青蓮院は徐々にその礎を築いていったのであるぞ。 そして、鎌倉の世に至り、青蓮院は「門跡寺院」としての格式を得るのじゃ。皇族や摂関家の子弟が住持を務めるようになり、特に後鳥羽上皇の皇子である道元が住持となったことで、皇室との結びつきは一層強固なものとなったのじゃな。 室町の世では、足利将軍家とも深く関わり、応仁の乱にて一時荒廃するも、見事に再建を果たしたのじゃ。江戸の世に入れば、徳川将軍家より厚き保護を受け、現在の伽藍の基礎が築かれたのであるぞ。江戸初期には、後水尾天皇の皇子である良尚親王が住持を務め、青蓮院の文化的な発展に大きく貢献したのじゃな。 明治維新の後も、青蓮院は皇室との縁を保ち続け、現在に至るまで、天台宗の要たる寺院として、また京の歴史と文化を伝える貴重な存在として、多くの人々に親しまれておるのじゃ。境内には、国宝の不動明王二童子像をはじめ、数多の文化財が所蔵され、その悠久の歴史と格式を今に伝えておるのであるぞ。