車折神社
基本情報
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由緒
ふむ、車折神社とな。吾輩がその由緒を語ってやろう。 車折神社は、京の都の西、右京区嵯峨朝日町に静かに鎮座する社であるぞ。その歴史は、遥か平安の時代まで遡るのじゃ。 創建は、平安時代も後期、康平6年(1063年)のことと伝わっておる。後嵯峨天皇の御代に、当時この地に広がりし嵐山殿の鎮守として、清原頼業公を祀るために建てられたのじゃな。清原頼業公とは、平安後期の優れた儒学者にして、文章博士として名を馳せた御仁であるぞ。後嵯峨天皇の信任も厚く、その学識と徳行は、広く世に知れ渡っておったのじゃ。 さて、この「車折」という社名の由来には、まことに興味深い逸話が残されておるのじゃ。ある時、後嵯峨天皇が嵐山へ行幸なされた折、この神社の前を通りかかった途端、乗っておられた牛車の轅(ながえ)が、突然ポッキリと折れて、動かなくなってしもうたそうじゃ。天皇は、これを神の御神威であると感じられ、この社に「車折大明神」という社号を賜ったと伝えられておる。この不思議な出来事以来、車折神社は、交通安全や厄除けの神としても、厚く信仰されるようになったのじゃな。 また、清原頼業公が学問の神として崇め奉られておったことから、車折神社は、学業成就や試験合格の御利益でも、広く知られておるぞ。境内には、頼業公が愛用したという硯石が祀られた「芸能神社」なるものもあり、芸能や芸術の道に進む人々からも、篤い信仰を集めておるのじゃ。 江戸の世には、嵯峨天皇の離宮跡に位置することもあり、皇室や公家からの崇敬も厚く、幾度となく社殿の修造がなされたそうじゃ。明治の世になってからも、この地の守護神として、また学問・芸能の神として、多くの人々に信仰され続けておるのであるぞ。 このように、車折神社は、平安の昔からの長き歴史を持ち、清原頼業公の学徳と、後嵯峨天皇の逸話に彩られた、まことに由緒正しき神社であるのじゃ。