金戒光明寺

金戒光明寺

📍 京都府京都市 京都市左京区黒谷町121

基本情報

山号 紫雲山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建 1175年(承安5年)
開基 法然(開基)
文化財 三重塔(重要文化財)

📿 御朱印情報

受付時間

09:00〜15:30

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由緒

白狐

ふむ、金戒光明寺の由緒を語れというのじゃな。吾輩が語ってやろう。 京の都の左京区黒谷町に鎮座ましますは、浄土宗の大本山、金戒光明寺。人呼んで「黒谷さん」と親しむが、その由緒たるや、浄土宗の祖、法然上人が開いたことに始まるのじゃ。 建久二年(1191年)の創建と伝わる。法然上人が比叡の山を下り、吉水に草庵を結んだ後、さらに人里離れたこの黒谷の地へ分け入り、修行に励んだことが、この寺の始まりじゃな。上人はこの地で念仏の教えを広め、多くの衆生がその教えに帰依したのじゃ。 室町の世には、足利義満が寺領を寄進し、伽藍の整備が進められた。これにより、金戒光明寺は浄土宗の有力寺院としての地位を確固たるものとしたのであるぞ。応仁の乱(1467年~1477年)では、京の都が戦火に包まれる中、金戒光明寺は東軍の陣地となり、その伽藍は奇跡的に戦火を免れた。これは、この寺が持つ歴史的、そして戦略的な重要性を示すものじゃな。 江戸の時代に入ると、徳川家康が浄土宗を厚く保護したこともあり、金戒光明寺はさらに発展を遂げた。特に、江戸幕府の浄土宗における「関東十八檀林」の一つに数えられ、学問の中心地としての役割も担ったのであるぞ。多くの学僧がこの地で研鑽を積み、浄土宗の教義研究に貢献したのじゃ。 幕末の激動の時代には、京都守護職を務めた会津藩主、松平容保が本陣を置き、あの新選組もその配下に置かれたことでも知られる。境内には、会津藩士の墓や新選組ゆかりの史跡が今も残り、激動の時代を静かに物語っておるのじゃ。 このように、金戒光明寺は法然上人の開創以来、浄土宗の重要な拠点として、また歴史の舞台として、その姿を変えながらも今日まで法灯を守り続けているのであるぞ。

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